エルコンドルパサー

〜THE BETRAYED IMPRESSION〜

フランスの凱旋門賞と言えば、世界最高峰とも言える程の由緒正しい威厳のあるレースである。
最近では日本馬の海外競馬での活躍が多くなってきたけれど、昔はそうそうたる日本馬が参戦し、ある馬は別の馬ではないか?と思ってしまう様な敗退・・・ある馬はレースに出る事さえ叶わずに故障して帰国したりもした。
凱旋門賞では、スピードシンボリ10着、メジロムサシ18着、シリウスシンボリ14着という散々たる結果だった。
エルコンドルパサーはその凱旋門賞に2番人気という評価を得て挑んだ。
彼は97年11月8日にデビューし、その後5連勝。
5勝目は第三回NHKマイルカップ(GI)という圧倒的な強さを見せた。
デビュー当時はダート馬だと多くの声が聞かれ、三戦目にあたる共同通信杯では雪の為に芝からダートへとレース変更になった途端、彼の人気が跳ね上がった事もあった。
しかし、彼のその後の活躍は「ダート馬」という声を消していった。
98年のジャパンカップを優勝し、その翌年の春に長期の海外遠征の為にフランスに飛んだ。
今までの海外遠征の傾向では、目標のレースやその前哨戦にあたるレースに絞っての短期間遠征が多かった。
海外のレースは日本に比べて格段に賞金が低い、そのせいでレースに勝っても出費がマイナスになってしまう・・・それが長期滞在に踏み切れない理由の一つになっていたりした。
けれど、エルコンドルパサー陣営は賞金、利益よりも名誉を選んだ。
彼はその年の半分強をフランスで過ごした。
5月にフランスでの初レース、イスパーン賞(GI)を2着、その後は7月にサンクルー大賞(GI)1着、9月フォア賞(GU)1着と日本だけでなく現地のホースマンも驚く活躍を挙げた。
何よりも評価されたのはエルコンドルパサーの持つ、順応能力の高さだった。
日本とフランスでは競馬形態も異なれば、馬場状態も違う・・・そうなると必然的に走るフォームや体型も変わってくるのだろうけど、そんな簡単に変える事なんて人間でも難しい。
それをエルコンドルパサーは現地で調教を積み、レースをこなす毎に変化させていった。
10月になり、最終目標としていた凱旋門賞・・・2番人気という評価はそんな彼の持つ類稀な能力の証だと思った。
家で衛星放送を見てた私は、スタートから驚いた。
無謀だとと言われる「逃げ」という戦法を取ったからだった・・・。
しかし、エルコンドルパサーは「そんなの周りが勝手に言ってるだけだろう?」と言うかの様に平気な顔をして走っている。
画面に表示されたゴールまでの距離を示す数字を見て、私は・・・日本中の競馬ファンは夢を見ただろう。
けれど夢は夢なのか・・・結果は勝ったモンジューに半馬身の2着だった。
それでも、世界最高峰と言われるレースで夢を見れたのは本当に嬉しい事であり、エルコンドルパサーにはもちろん陣営の方々に感謝の気持ちでいっぱいだった。
帰国後、多くのファンに惜しまれ引退、北海道の社台スタリオン・ステーションで種牡馬となった。
私にとって彼の印象は彼の残した輝かしいものとは裏腹にそんなに良いものではなかった・・・「冷静で、きっとプライドが高くて・・・近寄らせてもくれないんだろうな・・・」というイメージを勝手に抱いていた。
2000年の冬・・・雪が積もる中、エルコンドルパサーに会いに行った。
それも、私が愛するメジロドーベルの初代の旦那様という理由だけで会いに行った・・・。
放牧場で初めて会った彼は想像していたよりも小さく「名馬は大きな身体を小さく、小さい身体を大きく見せるもんだ」という以前聞いた言葉を思い出した。
元々会いに行った理由が理由だけに簡単な挨拶(!?)を済ませて、さて次は!などと思いながら彼の放牧場沿いに歩き出した。
すると背後から気配が・・・立ち止まり振り向くと、フェンスを挟んで私の横に彼がいた!
最初は「威嚇しにきたのかな?」と思ったのだけど、彼の瞳はとても優しい色をしていた。
私が歩き出すと、彼もついて歩き出す・・・そして高いフェンスから小さな身体を一生懸命に踏ん張って顔出し、行ったり来たりをしてくれた。
そんな事を繰り返してる内に私はエルコンドルパサーの大ファンになっていた。
そして、私が抱いてた印象を「裏切られた!!」「騙された!」と思うと同時に、本来「裏切り」の持つ意味合いや感情とは全く逆の嬉しさや幸せを感じた。
翌々年の6月、初対面の時とは違って「彼に会いたい!」という気持ちで再び社台スタリオン・ステションを訪れた。
放牧場が変り、ちょっと遠目でしか会えなくなってはいたけどしばらく黙って見つめてる私に気づいてくれたのか、じっと見つめ返してくれた。
そして、低くなったフェンスから今度は悠々と顔出し、行ったり来たりという前回と同じパフォーマンスを見せてくれた。
「また会いに来るよ!」と言葉をかけてその場を後にした・・・けれど、その「また・・・」は叶う事がなくなってしまった。
その一ヵ月後に彼は腸捻転でこの世を去った。
一年後・・・「エルコンドルパサーの産駒は気性が良いね〜」という言葉は多くの馬に携わる人達から聞いた。
もし、彼がその自分の血を分けた子供達を見る事が出来、そのセリフを聞けたなら「当たり前でしょ」と言うだろうな・・・と思った。
現に私が知ってるエルコンドルパサー産駒のトラッドスキーム(美浦・高橋祥泰厩舎)は、気性が激しくて知られてたカノープス、パープルホワイトを祖母と母に持っている。
「祖母も母も一戦使う毎に気性が激しくなってね・・・トラッドスキームも心配してるんだ・・・」という関係者の方の言葉は「やっぱりエルコンドルパサーの産駒だね」という言葉に変わっていた。
自分自身も、その子供達も良い意味で「裏切る」事が好きなだなぁ〜と思ってしまった。
「高く売れる思ってたんだけどね〜・・・」「脚が弱いかもな・・・」と言われた馬がGIを勝つ、世界最高峰のレース凱旋門賞を優勝する・・・その馬の父親の名前は「エルコンドルパサー」。
「裏切られた〜!」「おいおい、本当かよ!」そんな言葉が飛び交う・・・。
ドラマみたいだけど、漫画みたいだけどそんな物語があっても良いと思う・・・あなたの血を受けた命なら・・・
と私は彼の優しい瞳を思い出しながら、そう思った。


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