メジロドーベル

〜TO A GREAT MOTHER’S WAY〜

五つ星の女王と言われ、最後の最後まで女王の座を譲らなかったメジロドーベル。
デビューから引退までの間に毎年GIを勝ち、年度部門代表にも毎年選出された事は大変な記録となった。
名は体を現すという言葉を証明するかの様に男馬にも勝るとも劣らない馬体、そして父親譲りの舌を出して走る顔!
彼女を愛馬だと公言してる私も、実はデビューから2戦目まで男の子だと思っていた・・・。
これまでに馬に助けてもらったと思う事はいっぱいあったけど、人生や命を救ってもらった・・・というエピソードを耳にしたり目にしたりすると理解出来る部分は多分にあったけど、心のどこかに「本当なのかな?」という思いがあった。
けれど、メジロドーベルは当時いつまでもその場から動けずに立ち止まっている私の背中を押してくれた。
チューリップ賞でのアクシデント・・・それでも彼女は諦めずにゴールに向かって走リ抜いた。
ただでさえ繊細なサラブレッド、しかも歳の若い牝馬が走る事を拒否して仕方ない状態だろうに、それでも彼女は走る事をやめなかった。
結果は3着でも、私には彼女が「何があっても諦めない!前に進むだけ!」と言っている様に思え、生きる事に何の意味も持たない状態だった私に喝を入れてくれたのだった。
それを機に自己満足になるのだろうけど、少しでも感謝の気持ちを伝えたいという思いで彼女のレースに足を運んだ。
彼女の走りに声援を送り、悔し涙や嬉し涙を流したり・・・彼女を応援する事が私に生きる事への意味をもたらしてくれた。
私が彼女に初めて会ったのは、とあるレース終了後の競馬場厩舎。
レースを終えて馬房の中でアフターケアをしてもらっている彼女は凛としたものの中に可愛らしさを持っていた。
それから、私は許可を頂いて何度か美浦トレーニングセンターへ彼女に会う為に足を伸ばした。
彼女に会う度に、段々と私を認識してくれるドーベルの聡明さに驚かされたりした。
彼女は産れて間もなく母親が持つ血液因子の不適合の為に通常とは異なった育ち方を強いられ、その後も脚元の故障から一時は競走馬としてのデビューは難しいと診断されたりもした。
そんな苦難を乗り越えて競走馬として無事にデビューした後も自分を実の娘の様に可愛がってくれた厩務員さんとの永遠の別れが待っていた・・・。
その後、担当を任された調教厩務員さんはなかなか心を許してくれないドーベルに献身的な愛を注ぎ、彼女を思うあまりに胃に穴が開いたという。
苦しく辛い・・・淋しい状況でも彼女はいつも自分を愛してくれる人達に囲まれて守られてきた。
それ程頻繁に顔を出さない私の事をちゃんと覚えていてくれたのも、出会いや別れを強く感じられる力を備える事になった彼女の生い立ちがそうさせるのだろうと感じた。
彼女は今、生まれ故郷のメジロ牧場でゆったりとした時を送っている。
今では2児の母であり、2003年の春にはアグネスタキオンの仔を出産予定。
第一仔にあたる「翔飛」は今年デビューを迎える。
初めてのお産の時は、立ち会った方達が驚くぐらいスムーズで「どこかで隠し子産んでるんじゃないか?」と冗談が出る程だったそうだ。
牧場の方のお話では「ドーベルはまだまだ自分が一番!って感じだね。仔供にお乳をあげるより自分のご飯!みたいな所があるからね。それでも、感心する程自分や周りの状況をちゃんと理解しているんだよ」との事。
まだまだ女王の座は譲れない!そんな気持ちでいるらしい。
第一仔が産れ、会いに行った時だった・・・周りが仔供に注目する雰囲気に気分を害し、私に仔供の遊び役を押し付けて草を食べに行った彼女の姿を見て、なるほど!まだまだ女王様なんだなぁ〜と思ったりした。
現役時に一度も牧場に戻らなかった彼女を「やっと里帰りした娘」と目を細めながら優しく撫でる牧場の方を見て、心がギュっと熱くなった。
今はまだまだ女王様でも、彼女は一歩ずつ偉大なる母への道を確かに歩み始めた。
彼女の血を受け継いだ命達は、容姿や能力だけでなく母親の感じた幸せも愛情も心に引き継いでいく事だろう。
そして、彼女と同じく多くの人達に愛されるだろう。
「諦めるな!」「前に進め!」「強くあれ!」を教えてくれたメジロドーベル。
彼女の前に伸びる未来への道に幸多かれ!
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