A WIND GENTLE TO


2004年11月9日。
街中から少し入った牧場のとある場所に立った。
あれから6年・・・訪れたくても、どうしても勇気が持てずに立つ事の出来なかった場所。
北海道は平取にある稲原牧場の横に建立されたサイレンススズカの墓碑。
信じる信じないは個々の判断に任せるとして、私は10代の半ば頃から俗に言う「Sixth Sense」が強く、普通は見えないとされてるものを見てしまったり感じてしまったりする事が多々あった。
それだから、悲しみが渦巻く場所に共鳴する気持ちを持って踏み込むと感情を理解する前に涙が溢れたり、周囲から見たらトリップしてる状態になってしまったりする。
弱くはなったけど今でもその感覚は消えていない。
それを考えると、静かに再会をしたいと思う私はスズカの前に立つ事に抵抗を感じていた。
生前、彼がくれた笑顔の写真をこれまで人に見せたりする事はなく、ただただ自分だけの大切なものとしていたいと思っていた中、ふと彼の残した幸せの証として多くの人に見てもらいたいという気持ちになった。
その気持ちが私にスズカとの再会への勇気をくれた。
台風の被害で道と橋が変わり、道に迷い・・・30`も先まで車を走らせた・・・早く会いたいという気持ちに拍車がかかった。
やっとの事で牧場の看板を目にした時は、そのまま車を降りて走って行きたいほどだった。
公道に車を停め、牧場の私道だろう砂利の上をやっと会えるという安堵感と緊張で、早く前に進みたいのになかなか到達出来ない夢の中にいる様な気持ちで歩いた。
少し拓けたその場所に沢山の花に囲まれ、磨かれた灰色の墓碑が静かに鎮座していた。
丸太で作られた少しの階段を上り、彼の眠る場所の前に立った。
ここに来るまで、私はどんな言葉を・・・どんな気持ちを持つのだろう?と想像したけど、何にも浮かんでこなかった。
ただ真っ白な気持ちで彼と向き合った時、墓碑を撫でながら出た言葉は「やっと、会えたね・・・やっと来れたよ・・・」だった。
その瞬間に涙が溢れ出した・・・心配してた感情の渦に巻き込まれる事のない自分自身で感じた静かな涙だった。
周りに手向けられた沢山の花、ニンジン、千羽鶴・・・彼が愛された証の一つ。
ファンだけではない・・・彼の近くにいた人達はそれ以上に彼を愛した。
彼が天に昇ってしまった日、肩を震わせ泣いた厩務員さん。
主を亡くした無口を持って、彼と生活を共にした場所に一人で帰らなければならなかった・・・。
翌日から彼のいない空の馬房の前に立たなければならなかった・・・。
天才と言われ、サイレンススズカの能力を開花させた武豊騎手。
先頭を走るスズカが4コーナーにさしかかった瞬間・・・バランスを崩し、横へ進路を外した後・・・下馬した彼の顔の蒼白さはテレビ画面からでも明確だった。
腹帯をすぐに外す行動に出るだろうに、それさえも出来ずにただスズカを抑える事しか出来なかった。
その翌年の天皇賞・秋。
朝一の東京競馬場、4コーナーにたたずむ武豊騎手の姿があったという。
何を祈ったのか、話したのかは彼らのみぞ知るだけど、プロであるが故に常に冷静さを保たなければならない立場に置かれた彼が、プロから見たら感傷的だと言われるだろう行動に出た事を考えると、どれだけサイレンススズカという馬が愛されたか・・・。
彼のライバルだった馬達が国内で・・・海外で活躍する度に、そのライバル達が影さえ踏めなったサイレンススズカが生きてたら・・・という言葉が聞かれた。
「たら」「れば」は言い出したらキリがない・・・でも、どうしても考えてしまう。
彼が生きてたら・・・あの後、どんなレースを見せてくれただろうか?
現役を退いた後、種牡馬になったら・・・どんな産駒を送り出してくれただろうか?

彼の眠る場所を訪れた人達から「本当は悲しくなるだろうに、あの場所は何だか優しい雰囲気がする」「気持ちの良い風が吹いてた」と聞いた。
稲原牧場と、そこで生きる馬達・・・新たに芽生えた命を見守るかの様な場所にそれはある。
自分がそうだった様に・・・多くの人達から愛されて生きる事を伝えるかの様に優しく・・・。
私がその場にいた時も絶えず、穏やかな風・・・空気が流れていた。
「また来るね・・・」と言葉をかけ、背を向けた時・・・一度だけそれまでよりも強い流れを感じた。
それは思い込みか?現実か・・・それとも特別な感覚が感じたものなのか・・・?
それは、誰よりも速く、美しく・・・走る事が楽しいと言わんばかりの彼のスタイルを思い出させる様な流れだった。

形は消えてしまったけれど、彼を愛した人達の心に存在する限り、サイレンススズカという優しいオレンジ色をした馬は生き続ける。
彼が生きた証はここにある。
それは、絶えず花に囲まれた優しく穏やかな風が吹く場所に・・・。


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